天井がなくて空が広がっていることをイメージしてみて下さい。
空には月が輝いています。
その月はどこにあるでしょうか、天高くあるでしょうか、低い位置にあるでしょうか。
想像してみてください。
それではその月を指さしてみてください。
月を指さしますが、指に注意を集めず、月に注意を向けてください、。
月を指さしているあなた全体の様子はどんな感じですか、左右どちらの指で月を指していますか。体重はどちらかの足に乗っていますか。
月を指さしながら
あなたのその月はどんな明るさで、どんな色ですか。
白い色の月ですか、紅い月ですか。
その月はどのくらい欠けていますか、三日月ですか、それとも満月ですか、半月ですか。
雲一つのない空に、その月はありますか、それとも雲がかかって朧な感じですか。
兎は見えますか。
出来るだけリアルに想像してみてください。
リアルに想像すればするほど、あなたの月を指さす姿勢に変化はありますか。
では腕をおろして、月から目を離して休んでください。
月から目を離しても、その月は已然として空にあります。例えば歩き回ったら、その月はあなたについてきますか、それともずっと同じ場所にありますか。
さて、どうして私たちは月を指さすのでしょう?
ひとりでいる時に月を見て、きれいだなーと思ってもあまり指を指したりしませんよね。
そうです、誰かにその月のことを知らせるために月を指すのです。その月を誰かと共有するために…
では今度はあなたの想像の月を友達に教えるために、そんなつもりで月を指さしてみてください。
先程と姿勢は変わっていますか。
どうすれば、友達はあなたの月が見えるでしょうか。
あなたの指だけを見ても月がどこにあるかわかりませんね。
友達はあなたの全体を見る必要があります。
あなたは指や腕だけでなく、あなた全体で表現しなければ伝わりません。あなた全体がどのように月に向かっているか、すなわち自己の方向付け<self-direction>の仕方です。
それを意識して月を指さしてみてください。
さて、友達にも月は見えたでしょうか。
友達にも見えたら友達もその月を指さしてみるのも面白いかもしれません。
今あなたに見えている月、その月は現実に見えている、存在していると思われる月となにが違うでしょうか。
月は地球から36万キロから40万キロ離れているといいます。月の光が地球に届くまで約1,3秒だそうです。そうすると今見えている月は、この瞬間でなく1,3秒前の姿ということになります。
それは本当に存在しているといえるでしょうか。
大きい例では、たとえば空に瞬くある星は何百光年も離れているので、我々が見ている(光が届いている)この瞬間にはもう消滅しているかもしれないという話をプラネタリウム等で聞いたことがあるかもしれません。
それでは現実に空に見えている月や星と、あなたの想像でリアルに見えている月、なにか違いはあるのでしょうか。
その月や現実の月や星が実際にあるかないかも問題かもしれませんが、いまあなたの想像の月が現実の様にリアルに見えていること、どのようにその月を見ているか指さしているか、あなたがいまどうしているか、あなたの自己の方向付け<self-direction>の仕方を自分で気づいているかどうかが今の問いです。それは何かを変えるでしょうか。
真理というものや、それをつかもうとすることや、ある目的に向かって歩むことは尊いことだと思います。
しかし過程そのもの、すなわち今に注意を向ける、それをフェルデンクライスでは大切にしています。
「動きは人生であり、人生はプロセスである」 モーシェ・フェルデンクライス
フェルデン下町
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