2019年9月1日日曜日

秋の気配

最近、秋という季節があるのか本当に短く感じます。

亀有でフェルデンクライスグループレッスン(ATM)を行なっています。

 金曜レッスン 月2回くらい
 
 9月6日(金)
 9月20日(金)
 時間:18:30ー20:30
 
 ほぼ毎週火曜日午前のレッスンはじめます!
 
 毎週火曜日
 時間:10:00-12:00

 講習料(設備費、指導用教材費含む)2000円
 場所:亀有駅近くの会場

   ご予約、質問等はメールにてお気軽にお問い合わせ下さい。 
   メールはこちら
 またはfelden.shitamachiあっとジーメールドットコム←Romajiに変えてください。

 どなたでも参加できます。動きやすい服装をお持ち下さい。
 マットはこちらで用意します。頭の下に敷くタオルなどがあると便利です。





フェルデン下町

2019年8月31日土曜日

あるトレーナーとの対話

今年の夏は、あるフェルデンクライスプラクティショナー養成コースに勉強に訪れていました。

今回はイスラエルからのトレーナーの先生が講師でした。

フェルデンクライストレーナーとはフェルデンクライスプラクティショナー(教師または実践者)を育てるコースで教えることの出来る先生で、世界でも100人前後?(何十人だったかな)しか存在しないと聞いたことがあり、フェルデンクライスでトップの先生方です。私も何人かのトレーナーに教わっていますがそれぞれとても魅力的で素晴らしい人物たちなのです。

私は今回来ていたその先生から幸運にもFI(Functional Integration)(個人セッション)を受ける機会を得て、そのFI前のインタビューと、のちのメールでの対話の一部を皆さんとシェアしたいと思います。

自分の記録としてでもあり、または考えをまとめるために今回は用語などの解説はつけずにそのまま紹介します。背景や前後の文脈が抜けているので、わかりにくいかもしれませんが、フェルデンのプラクティショナーの方でこのブログを読んでくれている方もいるかもしれないので、参考になれば嬉しいです。

個人セッション前のインタビューにて(一部):


「頭を右に廻すのはやりやすいが、左に廻すのがやりにくいです。うつ伏せの時左に向いて、右耳を床につけるのは苦しいです。左右同じようにしたいっていうよりも、その差異を生み出している自分の使い方などが明らかになってくればいいなと思っています」
「あと最近気づいたことですが、頭を左右に回そうとすると、やっぱり左の方に行きにくい、けれど何かを見ようと左の方を見たり、右の方を見たりする時は、左の方に行きにくいとかの制限を感じないんです」

先生
「なるほど、君はムーブメント’Movement’と機能’Function'の区別はちゃんと出来ているようだね」

そのあと、利き目(左右の目のうち支配的に使っている方の目)がどちらかの検査などをしてからテーブルでねてのセッションへと移りました。

セッションの様子やのちの感想などはまた気が向いたら話します。

後のメールでのやりとり(一部):私の質問より

「先のセッションで’ムーブメント(動き)’と’機能’の違いについて話しましたね。
両者の関係は分化’Differantiation'と統合’Integration’の関係のようなものでしょうか?あるトレーナーの先生が、(FIにおいて)分化と統合は一つのコインの表と裏の様なものだと言っていたのを覚えています。」
「’機能’とは、行動’Action’や振る舞い’Behavior'に関することだと私は理解しています。私はレッスンを教える時、特にFIにおいて、その生徒にとって有用な’機能’を常に頭に置いておきたいと思っています。そこでレッスンに於いて、分化やあるムーブメントについてはどの様に考えればいいでしょうか」
「もちろん、ある時はあるムーブメントが機能を支えることや、ある変化が改善’Improvement'をもたらすとシンプルに考えることもできます。しかし、今自分はプラクティショナーとしてやってますので、さらに考えを深めたいのです」

先生の返信(一部):
「今私が信じていることは、もし骨盤が本当の意味での根源となり、動力を生み出し、一方で腕や脚が付随的なものとなり、頭は自由になる、そのことを私が遂に達成することが出来たなら、私がこの20年以内で死んだとしても、君たちは私のことを決して忘れることはないだろう。
(モーシェ・フェルデンクライス:1976年サンフランシスコトレーニングに於いて)」
「これはフェルデンクライスの引用だけど、これが君の質問の中のいくつかの答えになることを願ってるよ」

この様なやりとりがありました。

如何でしょうか。このように、フェルデンクライスの先生方は質問に直接に答えない、もしくは直接答えていないように感じられる、こともおおいです。特にイスラエルの先生方(笑)
ユダヤの文化なのか、考えさせるというか。私がトレーニングコース生の時の教育ディレクターもイスラエルの方でそういう傾向が強かったです。人によっては明確じゃないと感じることもある様です。でもそのお陰で自分は随分考えが深まったと思っていて、感謝しています。私としてはその考え方、やり方には親和性を感じています。

引用していただいたフェルデンクライス博士の言葉についても、すぐに腑に落ちる様な言葉ではない様です。フェルデンクライスの書籍にしても、語った言葉にしても、直接的、直線的な説明ではないことも多いですが、その人がそれをその人全体で’悟った’時に理解できる構造になっていると思います。
その時にはそれが非常に明確な言葉として入ってきます。
その人のその時の気づきの深さなどで、理解の度合いが違ってきます。
まさにATMですね。私はフェルデンクライス博士の言葉は書籍なども全てATMレッスンだと思って味わっています。おすすめですよ。

先生が教えてくれたこのフェルデンクライス博士の言葉も、私にとって重要なヒントになりそうです。感謝です。
ポテントセルフ(フェルデンクライス博士の著書の一つ)等を今一度読み返す必要があるでしょうね。

夏の思い出の話でした。




フェルデン下町

2019年6月9日日曜日

晴耕雨読

東京も梅雨ですね。
今年の梅雨は長いらしいので鬱陶しいなあ。

太陽が欲しいです。

でも晴れの日ばかり続いたら乾き、雨を欲する。

そんな我儘で勝手な生き物です。

たまには落ち着いて焼酎ロックや日本酒など飲みたいですね。

私いつもなんでも勢いよく飲みすぎる気がする。

乾いてんのかなあ。

フェルデン下町

2019年6月8日土曜日

亀有でのレッスンのお知らせ!

亀有でフェルデンクライスグループレッスン(ATM)を行ないます。

 金曜レッスン 月2回くらい
 
 7月5日(金)
 7月19日 (金)
 8月2日(金)
 8月16日(金)
 時間:18:30ー20:30
 
 ほぼ毎週火曜日午前のレッスンはじめます!
 
 7月から毎週火曜日
 時間:10:00-12:00

 講習料(設備費、指導用教材費含む)2000円
 場所:亀有駅近くの会場

   ご予約、質問等はメールにてお気軽にお問い合わせ下さい。 
   メールはこちら
 またはfelden.shitamachiあっとジーメールドットコム←Romajiに変えてください。

 どなたでも参加できます。動きやすい服装をお持ち下さい。
 マットはこちらで用意します。頭の下に敷くタオルなどがあると便利です。


フェルデン下町

2019年6月6日木曜日

食指(しょくし)

中国では人差し指のことを食指と呼ぶそうです。

「食指が動く」「食指が伸びる」という言葉がありますね。
春秋時代のある故事がもとになっています。

 ”楚の人が鄭の霊公にすっぽんを献上しました。公子である子公と子家がちょうどそのとき霊公の屋敷を訪れようとしていました。その時子公の人差し指がぴくりと動いたので、子公は子家にそれを示してこういいました。「私の人差し指がこうなる時は必ず珍味にありつけるんだ」二人が霊公の屋敷に入ると料理人がちょうどすっぽんをさばいているところでした。”

このことから、「食指が動く」とは、なにかを手に入れたくなる、やってみたい気持ちが起こる、なにかに興味を持つなど、心が動くことを表しています。

人差し指、、この指を英語ではIndex Fingerといいます。

index:索引、指標、指針、指数など

月でも何でも、何かを指し示す時、特にどの指と指定されなくても皆さんはこの人差し指を使ったはずです。
とても興味深いことです。

食欲や意図が方向性をもってなにかに向かうことと、この人差し指とは関係があると私は考えています。

心、意と身体の結びつき、結びつきというより不可分性、心と身体は本質的に分けて考えられないものであるいうことを示している具体的な例の一つであると思います。


https://youtu.be/sDW6vkuqGLg



フェルデン下町

2019年6月4日火曜日

指月の譬(しがつのたとえ)

今、あなたが屋外にいるとしても、屋内にいるとしても。
天井がなくて空が広がっていることをイメージしてみて下さい。
空には月が輝いています。
その月はどこにあるでしょうか、天高くあるでしょうか、低い位置にあるでしょうか。
想像してみてください。

それではその月を指さしてみてください。

月を指さしますが、指に注意を集めず、月に注意を向けてください、。

月を指さしているあなた全体の様子はどんな感じですか、左右どちらの指で月を指していますか。体重はどちらかの足に乗っていますか。

月を指さしながら

あなたのその月はどんな明るさで、どんな色ですか。

白い色の月ですか、紅い月ですか。

その月はどのくらい欠けていますか、三日月ですか、それとも満月ですか、半月ですか。

雲一つのない空に、その月はありますか、それとも雲がかかって朧な感じですか。

兎は見えますか。

出来るだけリアルに想像してみてください。

リアルに想像すればするほど、あなたの月を指さす姿勢に変化はありますか。

では腕をおろして、月から目を離して休んでください。

月から目を離しても、その月は已然として空にあります。例えば歩き回ったら、その月はあなたについてきますか、それともずっと同じ場所にありますか。

さて、どうして私たちは月を指さすのでしょう?

ひとりでいる時に月を見て、きれいだなーと思ってもあまり指を指したりしませんよね。

そうです、誰かにその月のことを知らせるために月を指すのです。その月を誰かと共有するために…

では今度はあなたの想像の月を友達に教えるために、そんなつもりで月を指さしてみてください。

先程と姿勢は変わっていますか。

どうすれば、友達はあなたの月が見えるでしょうか。

あなたの指だけを見ても月がどこにあるかわかりませんね。

友達はあなたの全体を見る必要があります。

あなたは指や腕だけでなく、あなた全体で表現しなければ伝わりません。あなた全体がどのように月に向かっているか、すなわち自己の方向付け<self-direction>の仕方です。

それを意識して月を指さしてみてください。

さて、友達にも月は見えたでしょうか。

友達にも見えたら友達もその月を指さしてみるのも面白いかもしれません。

今あなたに見えている月、その月は現実に見えている、存在していると思われる月となにが違うでしょうか。

月は地球から36万キロから40万キロ離れているといいます。月の光が地球に届くまで約1,3秒だそうです。そうすると今見えている月は、この瞬間でなく1,3秒前の姿ということになります。
それは本当に存在しているといえるでしょうか。

大きい例では、たとえば空に瞬くある星は何百光年も離れているので、我々が見ている(光が届いている)この瞬間にはもう消滅しているかもしれないという話をプラネタリウム等で聞いたことがあるかもしれません。

それでは現実に空に見えている月や星と、あなたの想像でリアルに見えている月、なにか違いはあるのでしょうか。

その月や現実の月や星が実際にあるかないかも問題かもしれませんが、いまあなたの想像の月が現実の様にリアルに見えていること、どのようにその月を見ているか指さしているか、あなたがいまどうしているか、あなたの自己の方向付け<self-direction>の仕方を自分で気づいているかどうかが今の問いです。それは何かを変えるでしょうか。

真理というものや、それをつかもうとすることや、ある目的に向かって歩むことは尊いことだと思います。

しかし過程そのもの、すなわち今に注意を向ける、それをフェルデンクライスでは大切にしています。


「動きは人生であり、人生はプロセスである」 モーシェ・フェルデンクライス


https://youtu.be/yY4adJjHkJY?t=1226



フェルデン下町

2019年5月3日金曜日

当たり前な事は把握しにくい事は把握しにくい

日本は新しい時代『令和』なりました。フェルデン下町もグループレッスンを近々再開していきますのでよろしくお願いいたします。

フェルデンクライス博士の最後の著書で“Elusive Obvious”という本があります。

不思議な題名ですね。
Elusiveは、とらえどころがないとか曖昧であるとかそんな意味です。
Obviousは、よく見える、明白、明瞭といった意味です。

私の尊敬しているフェルデンクライスプラクティショナーの先輩はこの題名を「当たり前の事は把握しにくい」と訳していますが、素晴らしい妙訳だと思います。

私たちが当たり前‘obvious’ の様に思っていることも、それがどんなものであるかは実はよくわかっていない‘elusive' な事が多いです。

前にブログでふれた「健康」や「習慣」もそんなものです。

私たちがいま生きていることも実に不可思議なもので、この時代に人として生まれて、この地球上で、ある人と出会って、家族や友人同士になるとか偶然とは思えない奇跡のようなものだと思います。

ところがその事に慣れて、生活していることや環境が‘当たり前’のように感じてしまうと、だんだんそれを大切にしなくなってしまったり、丁寧じゃなく扱ってしまったり、雑に生きてしまったりするのかもしれません。

実は全く当たり前ではないのに。。

私たちの普段の行動も、当たり前の様にこなしていて、実はどのようにやっているか自分で気づいていないことが多いです。

フェルデンクライスでは身体がどのように動いているかなど、今に注意を向けていきます。

丁寧に動いて感じていると、徐々にどのようにやっているか感じられてきます。そうすると心地よく、動きの範囲や容易さが大きくなるということも起こってきます。

色々なものが明晰になったような感じがするかもしれません。普遍的な道理の様なものをなにかわかったような気がするかもしれません。例えば呼吸はこんなものだとか、この動きはこれか!とか

それもとらえどころのないもので、なにかわかった気になっても全然わかっていなかった、まだ先があったと言うこともよくあります。

でも、その気づいたことを一つの答えであると固定しないで好奇心を開いていると、留まらずどんどん学び続けていくことができます。それはとても楽しく、面白い作業なんです。

あらかじめ答えがある訳ではありません。でもそんな過程を通して、明らかで当たり前‘obvious' になったことは、当初の当たり前‘obvious' とは全く違ったものになっていると思いませんか。

そんなことを一緒にはじめましょう!


フェルデン下町

フェルデンクライス下町オンラインレッスン 今後の予定

自分のスペースでゆったりと身体に向き合ってみませんか。 フェルデンクライスのグループレッスンに見本はなくリラックスする中で、指導者の言葉により動いていくもので、こ自宅でするオンラインレッスンはいい面もあると、何回かオンラインで教えてみて感じました。 ...