東京も梅雨ですね。
今年の梅雨は長いらしいので鬱陶しいなあ。
太陽が欲しいです。
でも晴れの日ばかり続いたら乾き、雨を欲する。
そんな我儘で勝手な生き物です。
たまには落ち着いて焼酎ロックや日本酒など飲みたいですね。
私いつもなんでも勢いよく飲みすぎる気がする。
乾いてんのかなあ。
フェルデン下町
2019年6月9日日曜日
2019年6月8日土曜日
亀有でのレッスンのお知らせ!
亀有でフェルデンクライスグループレッスン(ATM)を行ないます。
金曜レッスン 月2回くらい
7月5日(金)
7月19日 (金)
8月2日(金)
8月16日(金)
時間:18:30ー20:30
ほぼ毎週火曜日午前のレッスンはじめます!
7月から毎週火曜日
時間:10:00-12:00
講習料(設備費、指導用教材費含む)2000円
場所:亀有駅近くの会場
ご予約、質問等はメールにてお気軽にお問い合わせ下さい。
メールはこちら
またはfelden.shitamachiあっとジーメールドットコム←Romajiに変えてください。
どなたでも参加できます。動きやすい服装をお持ち下さい。
マットはこちらで用意します。頭の下に敷くタオルなどがあると便利です。
フェルデン下町
金曜レッスン 月2回くらい
7月5日(金)
7月19日 (金)
8月2日(金)
8月16日(金)
時間:18:30ー20:30
ほぼ毎週火曜日午前のレッスンはじめます!
7月から毎週火曜日
時間:10:00-12:00
講習料(設備費、指導用教材費含む)2000円
場所:亀有駅近くの会場
ご予約、質問等はメールにてお気軽にお問い合わせ下さい。
メールはこちら
またはfelden.shitamachiあっとジーメールドットコム←Romajiに変えてください。
どなたでも参加できます。動きやすい服装をお持ち下さい。
マットはこちらで用意します。頭の下に敷くタオルなどがあると便利です。
フェルデン下町
2019年6月6日木曜日
食指(しょくし)
中国では人差し指のことを食指と呼ぶそうです。
「食指が動く」「食指が伸びる」という言葉がありますね。
春秋時代のある故事がもとになっています。
”楚の人が鄭の霊公にすっぽんを献上しました。公子である子公と子家がちょうどそのとき霊公の屋敷を訪れようとしていました。その時子公の人差し指がぴくりと動いたので、子公は子家にそれを示してこういいました。「私の人差し指がこうなる時は必ず珍味にありつけるんだ」二人が霊公の屋敷に入ると料理人がちょうどすっぽんをさばいているところでした。”
このことから、「食指が動く」とは、なにかを手に入れたくなる、やってみたい気持ちが起こる、なにかに興味を持つなど、心が動くことを表しています。
人差し指、、この指を英語ではIndex Fingerといいます。
index:索引、指標、指針、指数など
月でも何でも、何かを指し示す時、特にどの指と指定されなくても皆さんはこの人差し指を使ったはずです。
とても興味深いことです。
食欲や意図が方向性をもってなにかに向かうことと、この人差し指とは関係があると私は考えています。
心、意と身体の結びつき、結びつきというより不可分性、心と身体は本質的に分けて考えられないものであるいうことを示している具体的な例の一つであると思います。
https://youtu.be/sDW6vkuqGLg
フェルデン下町
「食指が動く」「食指が伸びる」という言葉がありますね。
春秋時代のある故事がもとになっています。
”楚の人が鄭の霊公にすっぽんを献上しました。公子である子公と子家がちょうどそのとき霊公の屋敷を訪れようとしていました。その時子公の人差し指がぴくりと動いたので、子公は子家にそれを示してこういいました。「私の人差し指がこうなる時は必ず珍味にありつけるんだ」二人が霊公の屋敷に入ると料理人がちょうどすっぽんをさばいているところでした。”
このことから、「食指が動く」とは、なにかを手に入れたくなる、やってみたい気持ちが起こる、なにかに興味を持つなど、心が動くことを表しています。
人差し指、、この指を英語ではIndex Fingerといいます。
index:索引、指標、指針、指数など
月でも何でも、何かを指し示す時、特にどの指と指定されなくても皆さんはこの人差し指を使ったはずです。
とても興味深いことです。
食欲や意図が方向性をもってなにかに向かうことと、この人差し指とは関係があると私は考えています。
心、意と身体の結びつき、結びつきというより不可分性、心と身体は本質的に分けて考えられないものであるいうことを示している具体的な例の一つであると思います。
https://youtu.be/sDW6vkuqGLg
フェルデン下町
2019年6月4日火曜日
指月の譬(しがつのたとえ)
今、あなたが屋外にいるとしても、屋内にいるとしても。
天井がなくて空が広がっていることをイメージしてみて下さい。
空には月が輝いています。
その月はどこにあるでしょうか、天高くあるでしょうか、低い位置にあるでしょうか。
想像してみてください。
それではその月を指さしてみてください。
月を指さしますが、指に注意を集めず、月に注意を向けてください、。
月を指さしているあなた全体の様子はどんな感じですか、左右どちらの指で月を指していますか。体重はどちらかの足に乗っていますか。
月を指さしながら
あなたのその月はどんな明るさで、どんな色ですか。
白い色の月ですか、紅い月ですか。
その月はどのくらい欠けていますか、三日月ですか、それとも満月ですか、半月ですか。
雲一つのない空に、その月はありますか、それとも雲がかかって朧な感じですか。
兎は見えますか。
出来るだけリアルに想像してみてください。
リアルに想像すればするほど、あなたの月を指さす姿勢に変化はありますか。
では腕をおろして、月から目を離して休んでください。
月から目を離しても、その月は已然として空にあります。例えば歩き回ったら、その月はあなたについてきますか、それともずっと同じ場所にありますか。
さて、どうして私たちは月を指さすのでしょう?
ひとりでいる時に月を見て、きれいだなーと思ってもあまり指を指したりしませんよね。
そうです、誰かにその月のことを知らせるために月を指すのです。その月を誰かと共有するために…
では今度はあなたの想像の月を友達に教えるために、そんなつもりで月を指さしてみてください。
先程と姿勢は変わっていますか。
どうすれば、友達はあなたの月が見えるでしょうか。
あなたの指だけを見ても月がどこにあるかわかりませんね。
友達はあなたの全体を見る必要があります。
あなたは指や腕だけでなく、あなた全体で表現しなければ伝わりません。あなた全体がどのように月に向かっているか、すなわち自己の方向付け<self-direction>の仕方です。
それを意識して月を指さしてみてください。
さて、友達にも月は見えたでしょうか。
友達にも見えたら友達もその月を指さしてみるのも面白いかもしれません。
今あなたに見えている月、その月は現実に見えている、存在していると思われる月となにが違うでしょうか。
月は地球から36万キロから40万キロ離れているといいます。月の光が地球に届くまで約1,3秒だそうです。そうすると今見えている月は、この瞬間でなく1,3秒前の姿ということになります。
それは本当に存在しているといえるでしょうか。
大きい例では、たとえば空に瞬くある星は何百光年も離れているので、我々が見ている(光が届いている)この瞬間にはもう消滅しているかもしれないという話をプラネタリウム等で聞いたことがあるかもしれません。
それでは現実に空に見えている月や星と、あなたの想像でリアルに見えている月、なにか違いはあるのでしょうか。
その月や現実の月や星が実際にあるかないかも問題かもしれませんが、いまあなたの想像の月が現実の様にリアルに見えていること、どのようにその月を見ているか指さしているか、あなたがいまどうしているか、あなたの自己の方向付け<self-direction>の仕方を自分で気づいているかどうかが今の問いです。それは何かを変えるでしょうか。
真理というものや、それをつかもうとすることや、ある目的に向かって歩むことは尊いことだと思います。
しかし過程そのもの、すなわち今に注意を向ける、それをフェルデンクライスでは大切にしています。
「動きは人生であり、人生はプロセスである」 モーシェ・フェルデンクライス
https://youtu.be/yY4adJjHkJY?t=1226
フェルデン下町
天井がなくて空が広がっていることをイメージしてみて下さい。
空には月が輝いています。
その月はどこにあるでしょうか、天高くあるでしょうか、低い位置にあるでしょうか。
想像してみてください。
それではその月を指さしてみてください。
月を指さしますが、指に注意を集めず、月に注意を向けてください、。
月を指さしているあなた全体の様子はどんな感じですか、左右どちらの指で月を指していますか。体重はどちらかの足に乗っていますか。
月を指さしながら
あなたのその月はどんな明るさで、どんな色ですか。
白い色の月ですか、紅い月ですか。
その月はどのくらい欠けていますか、三日月ですか、それとも満月ですか、半月ですか。
雲一つのない空に、その月はありますか、それとも雲がかかって朧な感じですか。
兎は見えますか。
出来るだけリアルに想像してみてください。
リアルに想像すればするほど、あなたの月を指さす姿勢に変化はありますか。
では腕をおろして、月から目を離して休んでください。
月から目を離しても、その月は已然として空にあります。例えば歩き回ったら、その月はあなたについてきますか、それともずっと同じ場所にありますか。
さて、どうして私たちは月を指さすのでしょう?
ひとりでいる時に月を見て、きれいだなーと思ってもあまり指を指したりしませんよね。
そうです、誰かにその月のことを知らせるために月を指すのです。その月を誰かと共有するために…
では今度はあなたの想像の月を友達に教えるために、そんなつもりで月を指さしてみてください。
先程と姿勢は変わっていますか。
どうすれば、友達はあなたの月が見えるでしょうか。
あなたの指だけを見ても月がどこにあるかわかりませんね。
友達はあなたの全体を見る必要があります。
あなたは指や腕だけでなく、あなた全体で表現しなければ伝わりません。あなた全体がどのように月に向かっているか、すなわち自己の方向付け<self-direction>の仕方です。
それを意識して月を指さしてみてください。
さて、友達にも月は見えたでしょうか。
友達にも見えたら友達もその月を指さしてみるのも面白いかもしれません。
今あなたに見えている月、その月は現実に見えている、存在していると思われる月となにが違うでしょうか。
月は地球から36万キロから40万キロ離れているといいます。月の光が地球に届くまで約1,3秒だそうです。そうすると今見えている月は、この瞬間でなく1,3秒前の姿ということになります。
それは本当に存在しているといえるでしょうか。
大きい例では、たとえば空に瞬くある星は何百光年も離れているので、我々が見ている(光が届いている)この瞬間にはもう消滅しているかもしれないという話をプラネタリウム等で聞いたことがあるかもしれません。
それでは現実に空に見えている月や星と、あなたの想像でリアルに見えている月、なにか違いはあるのでしょうか。
その月や現実の月や星が実際にあるかないかも問題かもしれませんが、いまあなたの想像の月が現実の様にリアルに見えていること、どのようにその月を見ているか指さしているか、あなたがいまどうしているか、あなたの自己の方向付け<self-direction>の仕方を自分で気づいているかどうかが今の問いです。それは何かを変えるでしょうか。
真理というものや、それをつかもうとすることや、ある目的に向かって歩むことは尊いことだと思います。
しかし過程そのもの、すなわち今に注意を向ける、それをフェルデンクライスでは大切にしています。
「動きは人生であり、人生はプロセスである」 モーシェ・フェルデンクライス
フェルデン下町
2019年5月3日金曜日
当たり前な事は把握しにくい事は把握しにくい
日本は新しい時代『令和』なりました。フェルデン下町もグループレッスンを近々再開していきますのでよろしくお願いいたします。
フェルデンクライス博士の最後の著書で“Elusive Obvious”という本があります。
不思議な題名ですね。
Elusiveは、とらえどころがないとか曖昧であるとかそんな意味です。
Obviousは、よく見える、明白、明瞭といった意味です。
私の尊敬しているフェルデンクライスプラクティショナーの先輩はこの題名を「当たり前の事は把握しにくい」と訳していますが、素晴らしい妙訳だと思います。
私たちが当たり前‘obvious’ の様に思っていることも、それがどんなものであるかは実はよくわかっていない‘elusive' な事が多いです。
前にブログでふれた「健康」や「習慣」もそんなものです。
私たちがいま生きていることも実に不可思議なもので、この時代に人として生まれて、この地球上で、ある人と出会って、家族や友人同士になるとか偶然とは思えない奇跡のようなものだと思います。
ところがその事に慣れて、生活していることや環境が‘当たり前’のように感じてしまうと、だんだんそれを大切にしなくなってしまったり、丁寧じゃなく扱ってしまったり、雑に生きてしまったりするのかもしれません。
実は全く当たり前ではないのに。。
私たちの普段の行動も、当たり前の様にこなしていて、実はどのようにやっているか自分で気づいていないことが多いです。
フェルデンクライスでは身体がどのように動いているかなど、今に注意を向けていきます。
丁寧に動いて感じていると、徐々にどのようにやっているか感じられてきます。そうすると心地よく、動きの範囲や容易さが大きくなるということも起こってきます。
色々なものが明晰になったような感じがするかもしれません。普遍的な道理の様なものをなにかわかったような気がするかもしれません。例えば呼吸はこんなものだとか、この動きはこれか!とか
それもとらえどころのないもので、なにかわかった気になっても全然わかっていなかった、まだ先があったと言うこともよくあります。
でも、その気づいたことを一つの答えであると固定しないで好奇心を開いていると、留まらずどんどん学び続けていくことができます。それはとても楽しく、面白い作業なんです。
あらかじめ答えがある訳ではありません。でもそんな過程を通して、明らかで当たり前‘obvious' になったことは、当初の当たり前‘obvious' とは全く違ったものになっていると思いませんか。
そんなことを一緒にはじめましょう!
フェルデン下町
フェルデンクライス博士の最後の著書で“Elusive Obvious”という本があります。
不思議な題名ですね。
Elusiveは、とらえどころがないとか曖昧であるとかそんな意味です。
Obviousは、よく見える、明白、明瞭といった意味です。
私の尊敬しているフェルデンクライスプラクティショナーの先輩はこの題名を「当たり前の事は把握しにくい」と訳していますが、素晴らしい妙訳だと思います。
私たちが当たり前‘obvious’ の様に思っていることも、それがどんなものであるかは実はよくわかっていない‘elusive' な事が多いです。
前にブログでふれた「健康」や「習慣」もそんなものです。
私たちがいま生きていることも実に不可思議なもので、この時代に人として生まれて、この地球上で、ある人と出会って、家族や友人同士になるとか偶然とは思えない奇跡のようなものだと思います。
ところがその事に慣れて、生活していることや環境が‘当たり前’のように感じてしまうと、だんだんそれを大切にしなくなってしまったり、丁寧じゃなく扱ってしまったり、雑に生きてしまったりするのかもしれません。
実は全く当たり前ではないのに。。
私たちの普段の行動も、当たり前の様にこなしていて、実はどのようにやっているか自分で気づいていないことが多いです。
フェルデンクライスでは身体がどのように動いているかなど、今に注意を向けていきます。
丁寧に動いて感じていると、徐々にどのようにやっているか感じられてきます。そうすると心地よく、動きの範囲や容易さが大きくなるということも起こってきます。
色々なものが明晰になったような感じがするかもしれません。普遍的な道理の様なものをなにかわかったような気がするかもしれません。例えば呼吸はこんなものだとか、この動きはこれか!とか
それもとらえどころのないもので、なにかわかった気になっても全然わかっていなかった、まだ先があったと言うこともよくあります。
でも、その気づいたことを一つの答えであると固定しないで好奇心を開いていると、留まらずどんどん学び続けていくことができます。それはとても楽しく、面白い作業なんです。
あらかじめ答えがある訳ではありません。でもそんな過程を通して、明らかで当たり前‘obvious' になったことは、当初の当たり前‘obvious' とは全く違ったものになっていると思いませんか。
そんなことを一緒にはじめましょう!
フェルデン下町
2018年5月31日木曜日
歩行器からでて冒険しよう!
これは私の生後六ヶ月くらいの写真です。実家で見つけました。
歩行器なるものに入れられてます。多分まだ自分で立つ前でしょうね。
でもなんだか悲しそうな顔が印象的です。クリスマスの格好もさせられてるしシュールな写真ですよね。
これは保育園で先生が撮った写真だそうです。
家では歩行器を使ってなかったし、母親はこの写真を見たときとてもかわいそうだと思ったそうです。私もこの写真を見たら悲しくなります。
子供の頃の他の写真はもっといきいきしてる感じなんです。歩行器に入れられるの嫌だったんでしょうね。無理矢理立たされて、、動けないし、、小さい時から型にはめられるのが嫌いだったのかもしれません。
この歩行器と言うものの目的もよくわからないです。
でも歩行器じゃなくても、善かれと思って子供が自発的に学ぶ機会を奪っている事はあると思います。
例えば、なにかを成し遂げたかどうかによってのみで子供を評価するとか…。
「なしとげたことだけで子供を判断すると自発性を殺すことになる」
モーシェ・フェルデンクライス(フェルデンクライス身体訓練法P30)
そうするとだんだん"自分のために"学ばなくなってしまうのでしょう。
もしかして、私たちは大人になっても自ら’歩行器’の様なものに入ってしまっているのかもしれません。
それには、もう慣れ親しんで安全に感じているかもしれませんが、そのせいで身動きが取れなくなっているかもしれません。
でも小さい時との違いは自ら決めて抜け出す事ができるということです。
一緒に歩行器を出て冒険してみませんか。
フェルデン下町
2018年5月19日土曜日
剥がしてどうするの?
古い友人と電話していて、こういうことをやっていると話すと’肩甲骨はがし’をやって欲しいと言われた。
剥がしてどうするの?とかイジワルなことを考えつつ話を聞くと、高校生ぐらいの頃から肩甲骨が埋まっている感じがするとのこと。
前から肩こりもありそうだったし、そのことで息苦しさを感じたりしているんなら、今度会った時になにか手伝えるかなと思いました。実はたぶん肩のことだけじゃないかな。
ちなみに彼はドラムをやっていて、私もドラムをやっていたんですが、彼の方がはるかに上手でした。私の方が昔から肩甲骨は動くし、たぶん筋肉も柔らかかったんですがね。
私は表面的にはしなやかに動ける様にみえて、なにか意図して行動しようとする時になんか堅いんですよね。それが私の課題です。
たしかフェルデンクライス博士は
「体を柔軟にすることに興味はない。頭を柔軟にすることに興味がある。」
と言っていました。
でも本当は体と頭(Mindかな)は分けて扱えないので、この言葉は"体だけ"もしくは"体の特定の部分だけ"を柔軟にしようとしている人たちに語りかけたのかもしれません。
柔軟てなんですかね。
彼はいまはフラメンコギターを練習しているそうなので、肩甲骨から腕の動きはもちろん、座り方や体の使い方が良くなれば、上達に役に立ちそうです。
今度会う時が楽しみ。
今後の予定
亀有でグループレッスン(ATM)の会
5月25日(金)
6月1日(金)
6月15日(金)
6月22日(金)
時間:18:30ー20:30
場所:亀有駅近くの会場
講習料(設備費、指導用教材費含む)2000円
ご予約、質問等はメールにてお気軽にお問い合わせ下さい。
メールはこちら
またはfelden.shitamachiあっとジーメールドットコム←Romajiに変えてください。
フェルデン下町
剥がしてどうするの?とかイジワルなことを考えつつ話を聞くと、高校生ぐらいの頃から肩甲骨が埋まっている感じがするとのこと。
前から肩こりもありそうだったし、そのことで息苦しさを感じたりしているんなら、今度会った時になにか手伝えるかなと思いました。実はたぶん肩のことだけじゃないかな。
ちなみに彼はドラムをやっていて、私もドラムをやっていたんですが、彼の方がはるかに上手でした。私の方が昔から肩甲骨は動くし、たぶん筋肉も柔らかかったんですがね。
私は表面的にはしなやかに動ける様にみえて、なにか意図して行動しようとする時になんか堅いんですよね。それが私の課題です。
たしかフェルデンクライス博士は
「体を柔軟にすることに興味はない。頭を柔軟にすることに興味がある。」
と言っていました。
でも本当は体と頭(Mindかな)は分けて扱えないので、この言葉は"体だけ"もしくは"体の特定の部分だけ"を柔軟にしようとしている人たちに語りかけたのかもしれません。
柔軟てなんですかね。
彼はいまはフラメンコギターを練習しているそうなので、肩甲骨から腕の動きはもちろん、座り方や体の使い方が良くなれば、上達に役に立ちそうです。
今度会う時が楽しみ。
今後の予定
亀有でグループレッスン(ATM)の会
5月25日(金)
6月1日(金)
6月15日(金)
6月22日(金)
時間:18:30ー20:30
場所:亀有駅近くの会場
講習料(設備費、指導用教材費含む)2000円
ご予約、質問等はメールにてお気軽にお問い合わせ下さい。
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またはfelden.shitamachiあっとジーメールドットコム←Romajiに変えてください。
フェルデン下町
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フェルデンクライス下町オンラインレッスン 今後の予定
自分のスペースでゆったりと身体に向き合ってみませんか。 フェルデンクライスのグループレッスンに見本はなくリラックスする中で、指導者の言葉により動いていくもので、こ自宅でするオンラインレッスンはいい面もあると、何回かオンラインで教えてみて感じました。 ...
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オンライン無料レッスンを数回、開催することにしました! 無料オンラインレッスン(Zoom) 5/1(金)10:00〜または 20:00〜 5/4(日)5(月)6(火)10:00〜 5/4、5、6は祈りのレッスンをします。 注※祈りのレッスンの日程が変更にな...
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煙たい風に、春の香りをかぐ今日この頃ですね。 3月以降の亀有ATM(グループレッスン)のお知らせ。 2月21日(金) 3月6日(金) 3月20日(金) 時間:18:30ー20:30 ほぼ毎週火曜日午前のレッスン 毎週火曜日 時間:10:...