2018年2月8日木曜日

Shinshin-Ichinyo(心身一如)

「心身一如」という言葉があります。
心と身体は一つのごとし、一つであるという意味で、仏教からの言葉です。
これは「剣禅一如」の様に、修行し目指しているある種の’境地’ではなく、そもそも心と身体(からだ)は分けて扱ったり、考えたりする事はできないということです。
’如’ は「...のごとし...のような」それと如来、真如などで使われている「本来の、真のすがた、ありかた」という意味があります。

'The Essential Unity of Mind and Body'
Moshe Feldenkrais

これは私がトレーニングコースの学習の一環で翻訳した、フェルデンクライス博士の論文、'Bodily Expressions' のなかの小見出しの一節です。

この本の最初の記事です
https://www.amazon.co.jp/Embodied-Wisdom-Collected-Papers-Feldenkrais/dp/1556439067/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1518072904&sr=8-1&keywords=embodied+wisdom

そのまま訳すと、「心と身体という本質的には一つのもの」ですが、これはまさに「心身一如」のことだなと思い、そう訳しました。

フェルデンクライスメソッドにおいてもこれは根本的で重要な概念であり、心と身体はそもそも分けて扱える代物ではないよと言う事を、科学的で、詳細な観察から得た考察によって説明しています。そのことはフェルデンクライス博士の他の著作でもよく説明されています。

くわしくは今後話してしていきたいと思います。

ところで道元禅師の著作でも繰り返しでてきますが、「身心一如」で身が心の前にきています。養老孟司さんの「日本人の身体観の歴史」という本によると、戦国時代以前はこの順番の使い方が多くて、江戸以降は’心身’が多くなっている様でとても興味深いですね。もっと調べてみます。

ただ、七百年前にもこの言葉があった、つまりこの言葉が必要だったってことは昔から人にとって、’身体と心が分かたれる’ ’自分と自分が分かたれる’ ’自分と世界が分かたれる’という問題はあったんじゃないかと思っています。

意識の作用、言語の作用、自己と所有物や身体の操作のことなどが関わっていそうな気がします。


一緒に考えていきましょう。


フェルデン下町
 

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