2018年4月11日水曜日

健康とは…

トレーニングコースでハワイから来たジェリー・カーズンという先生が、「モーシェ(モーシェ・フェルデンクライス博士)は健康についてどう定義していたと思う?」とみんなに尋ねました。
そのあと「やりたいことをしていることが健康なんだよ」と言っていた様に記憶していました。例えば、ピアノを弾くのが本当に大好きな人がいて、その人が仕事や色々なことでピアノが弾けていないとそれはたとえ病気ではなくても健康ではない。
そんな例をあげて説明していました。
その時の内容、以上のことより詳しくは覚えてなかったのですが、この健康の考え方はすごく印象に残っていて、フェルデンクライスメソッドでやろうとしていることの根底にあると感じてました。そして、もっとこのことについて詳しく知りたいな、と一年以上思っていました。
そうしていたらこちらのブログの記事に知りたかったことがありました。
ブログ記事へのリンク→ ON HEALTH by Moshe Feldenkrais
サンフランシスコのフェルデンクライストレーニングで学ばれていた、翠芳(suiho)さんと言う方のブログです。

"A healthy person is one who can live fully his unavowed dreams"

"健康な人というのは、内にある夢に精一杯生きれる人である。"

以上ブログから引用

そうだ!うんジェリー先生もそう言ってたなたしか。しかも引用元の論文が入ってる論文とインタビュー集、私も持ってるし。 まだ最初だけでその論文まで読んでなかった。こちらのブログのおかげで知れました。ありがとうございます。
未だ読んでませんが…
この本→リンク

皆さんにとって、"健康"とはなんですか?

WHO(世界保健機関)の定義した"健康"の概念と言うものもあります。

なんか世界中で多くの人が"健康"を追い求めている気がします。

 こんな問いの時に思い出すのは、数年前友人が私にしたある質問です。

"What is your definition of happiness?"
「あなたの幸福の定義はなに?」

私は当時、幸福なんて定義できるのものでもないだろ、と考えました。たとえば登山が好きだとしても、苦しいこともあると思うし、それを越えて素晴らしいことがあるから好きなのかもしれない。
なにか好きなことを仕事にしている時に幸せと思っても、後にそれが苦痛になるかもしれない。
苦しいことが幸せという人もいるのかもしれない。他の人の幸福が幸福ということもあるかもしれない。
幸福があるとしたらそれはそういった"状態"があるだけだろうと、その状態はいつ来るものかもわからないし、定義なんかできないだろう、とそう考えました。

だから

"Nothing is my definition of happiness"
「私の幸福の定義なんてものはないよ」
と答えました。

または今ならこのように答えるでしょう。

"I think it is my definition of happiness that one's being happy"
「私は幸福の定義は幸せであることだと思います」

多くの人が幸福を定義しようとして苦しんでいると思います。

これって、"健康"の定義についてのことと似ていると思います。

幸福や健康といった、Obvious(明白)なようで、それがどんなものか実はElusive(よくわかっていない)なものを無理矢理に定義しようとしたらどうなりがちですか。

たとえば「たくましくなければならない」とか「いつも元気いっぱいでなければならない」とすると、、強迫的な感じがしますよね。そんな風にして"健康"を追い求めていませんか?
「いつもハッピーでなければ」とかね。

私もそんなことあります。

しかし、そういった強迫性から解き放たれた所に健康というものはあるとフェルデンクライス博士は考えていたと私は思っています。"On Health"の論文は未だ読んでないんですけど(後で読みます!)、Potent Selfや他の書籍を読んだり、トレーニングコースで学んだなかでの考えです。


フェルデン下町

2018年3月24日土曜日

下町じゃない?

私たちは『フェルデンクライス下町』という名前のチームでやっています。

なので自分たちの住んでいる東京東部は’下町’ という意識があります。

しかしこの前、ふと下町の定義について調べてみたところ、下町とは江戸の町で低地にある所、町民や庶民が住む町だそうです。隅田川より東は’川向こう’と呼ばれ、さらに東の葛飾などは下総の国で江戸でさえなかった。。

なるほど!江戸と言う観点からの本来の下町はそうだったんですね。

でも私たちは三人いて、三人がここは下町だと思っていましたからね。

寅さんや、両さんの影響もありますかね。都市部ではなく工場(こうば)等が多い住宅地で、気取りがないそんな所が下町というイメージですね。両さんは浅草出身なので、出身は由緒ある下町か。

最近よく聞く、下町ハイボールは、亀有から京成金町、立石、お花茶屋、堀切、四つ木、八広、曳舟と鐘淵辺りが発祥なイメージです。ただあの独特の黄色い何かが入った焼酎ハイボールは、元々ただのボールとかチューハイとかで、下町ハイボールという呼び方は最近でな気がする。
だれか一緒にのみにいかない?

まあ私は誇りって程のものではありませんが、自分たちが育ってきたこの町が好きです。

フェルデンクライスを教えている人は、渋谷とか、東京都西部や神奈川にはけっこういるけど、東京東部はあまりいない。地元に根ざして、この地域の人の役に立ちたい。フェルデンクライスを学ぶ人が集まる場所をつくりたい。そんな思いで『フェルデンクライス下町』という名前にしました。よろしくおねがいします!

今後の予定
フェルデンクライスグループレッスンの会 in亀有
 3月30日(金)
 4月7日(金)
 4月20日(金)
 時間:18:30ー20:30
 場所:亀有駅近くの会場
 講習料(設備費、指導用教材費含む)2000円

 ご予約、質問等はメールにてお気軽にお問い合わせ下さい。
   メールはこちら
 是非参加よろしくお願いします!


『葛飾ラプソディ』堂島考平
 画像がなにかおかしいですが。


フェルデン下町

2018年2月24日土曜日

踵鳴る

昨日の亀有ATMの会にお越し頂いた方、ありがとうございました!


自分の踵がどこにあるか気づいていますか。

歩いている時に、踵はなにをしていますか。

息を吐いている時に踵はなにをしていますか。

踵の存在を捉えたい時に’踵だけ’に注目<focus>して踵を知ることができますか。

自分を知りたい時に、自己に注目するだけで自分を知ることができますか。

自分の周りの世界を見ることで、自分が見えてくることがあると思います。

それでは踵にとっての環境とは?

その環境との繋がり、関係性を滑らかにするには?

例えばそんなことを学んでいきます。

今後の予定

 亀有グループレッスンの会
 3月9日 (金)
 3月16日(金)
 3月30日(金)
 時間:18:30ー20:30
 場所:亀有駅近くの会場
 講習料(設備費、指導用教材費含む)2000円

 ご予約、質問等はメールにてお気軽にお問い合わせ下さい。
   メールはこちら


動画はイースタンユースの名曲

  なぜかPVは貼付けられなかったのでこちら。
  https://youtu.be/eU9leB0UZ2E

フェルデン下町

2018年2月11日日曜日

星に願いを

亀有に住んでいます
昨年2017年の12月29日に亀有の一つの素晴らしい飲み屋が50年の歴史に幕を下しました。地主がその辺りを取り壊してビルか何かにするから立ち退きだそうです。
行きはじめて一年しかたっていない短い付き合いだったけど、安くて美味しいし何より居心地が良かったです。私なんかそんなに通ってないが、最初に一緒にいった小中学校の同級生の飲み友達はかなり気に入って安住の地を見つけた感じで週に何回も通っていたのでとても残念がっていた。



最初はすごく入るのに勇気がいる感じだった。中は意外と広い。写真は最終日



外にある店のトイレから見えた夜空。この夜空はもう見られない。その光は星ではなく多分携帯のカメラで写り込んでしまった光点。でも酔っぱらったし、星みえてたかもね。

もう取り壊しが始まっている。あったものがなくなるってのは悲しいものだね。
今あるものを大切にしたいね。

フェルデン以外のこともたまに書いていきます。


フェルデン下町

2018年2月10日土曜日

亀有でのレッスンのお知らせ

亀有でフェルデンクライスグループレッスン(ATM)を行ないます。

 2月23日(金)
 3月9日 (金)
 3月16日(金)
 3月30日(金)
 時間:18:30ー20:30
 講習料(設備費、指導用教材費含む)2000円
 場所:亀有駅近くの会場

   ご予約、質問等はメールにてお気軽にお問い合わせ下さい。 
   メールはこちら

   どなたでも参加できます。動きやすい服装をお持ち下さい。

フェルデンクライスとはどんなものか知るのに、実際にやってみるのが一番いいと思います。是非参加お持ちしています!

フェルデン下町

2018年2月9日金曜日

ATM lesson at AngelR (編集済み)

午前中、渋谷にATMレッスンを受けに行ってきました。

ATMとはAwareness Through Movementの略でフェルデンクライスのグループレッスンです。私はこの渋谷のクラスに2012年8月から継続して参加しています。それが書籍以外でフェルデンクライスのグループレッスンを受けた私の最初の体験でした。創始者モーシェが指導した実際のレッスンの記録が何百とのこっている訳ですが、こちらではそれらの中からの一つひとつのレッスンを改変せずにそのまま伝えてくれています。オススメです!

今日はATMを受けて、その前後に先生と話す中で、やはりこれはとても現実的なものだと再認識しました。ごまかしのない真っ当なまなび方だと。

最近、ATMで使う言語について考察していました。そこで共通する言葉の使い方を一般化したり分析しようとしたりしていて、、まあそれも面白いんですけどね。

でもフェルデンクライスといえば(他の技法にもいえるかもしれませんが)なにか特別なものであると見いだそうとしがちです。効果とか、科学的に証明された事とか、メソッドのすごそうな部分が一人歩きすると、変な付加価値をつけたり、本当にすごい部分が見えなくなってしまうかもしれません。
実は特別ではない当たり前のことをやっている。でも真っ当なことを全うしていることが特別なのかもしれない。

これは現実のなかで生み出されたもの、つまり人間が創って実践してきたものであることを忘れがちです。モーシェ・フェルデンクライスという人間が、人間に真摯に向き合うなかで生まれてきたものであると感じます。だから私たちは真摯に取り組まなければならないのです。

私はフェルデンクライスメソッドは道具=Toolだと考えていますが、それは人それぞれがどんな使い方、生かし方もできる、色んな人にとっての道具になり得るという意味です。でも本当は生きていくためのToolであると思っています。

原点を確認できたという意味でも今日はよかったです。


フェルデン下町

2018年2月8日木曜日

Shinshin-Ichinyo(心身一如)

「心身一如」という言葉があります。
心と身体は一つのごとし、一つであるという意味で、仏教からの言葉です。
これは「剣禅一如」の様に、修行し目指しているある種の’境地’ではなく、そもそも心と身体(からだ)は分けて扱ったり、考えたりする事はできないということです。
’如’ は「...のごとし...のような」それと如来、真如などで使われている「本来の、真のすがた、ありかた」という意味があります。

'The Essential Unity of Mind and Body'
Moshe Feldenkrais

これは私がトレーニングコースの学習の一環で翻訳した、フェルデンクライス博士の論文、'Bodily Expressions' のなかの小見出しの一節です。

この本の最初の記事です
https://www.amazon.co.jp/Embodied-Wisdom-Collected-Papers-Feldenkrais/dp/1556439067/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1518072904&sr=8-1&keywords=embodied+wisdom

そのまま訳すと、「心と身体という本質的には一つのもの」ですが、これはまさに「心身一如」のことだなと思い、そう訳しました。

フェルデンクライスメソッドにおいてもこれは根本的で重要な概念であり、心と身体はそもそも分けて扱える代物ではないよと言う事を、科学的で、詳細な観察から得た考察によって説明しています。そのことはフェルデンクライス博士の他の著作でもよく説明されています。

くわしくは今後話してしていきたいと思います。

ところで道元禅師の著作でも繰り返しでてきますが、「身心一如」で身が心の前にきています。養老孟司さんの「日本人の身体観の歴史」という本によると、戦国時代以前はこの順番の使い方が多くて、江戸以降は’心身’が多くなっている様でとても興味深いですね。もっと調べてみます。

ただ、七百年前にもこの言葉があった、つまりこの言葉が必要だったってことは昔から人にとって、’身体と心が分かたれる’ ’自分と自分が分かたれる’ ’自分と世界が分かたれる’という問題はあったんじゃないかと思っています。

意識の作用、言語の作用、自己と所有物や身体の操作のことなどが関わっていそうな気がします。


一緒に考えていきましょう。


フェルデン下町
 

フェルデンクライス下町オンラインレッスン 今後の予定

自分のスペースでゆったりと身体に向き合ってみませんか。 フェルデンクライスのグループレッスンに見本はなくリラックスする中で、指導者の言葉により動いていくもので、こ自宅でするオンラインレッスンはいい面もあると、何回かオンラインで教えてみて感じました。 ...